トッププレーヤーから感じた「一流の定義」
8月の初旬に霧島国際音楽祭に参加してきました。
そこで技術的なことや音楽をするうえで大切なことなど細かく詳しく学んできました。
そのことは一部ブログにも紹介しましたが、随時更新していきたいと思います。
今回お話したいのはそのことではなく僕が直接お会いして一緒に過ごしてきた「一流プレーヤー」について。
僕は霧島の地で一流とはどんな人のことなのかについて深く感じることができました。
目を向ければあそこに○響のあのひとが。
霧島音楽祭に来ていただいた音楽家の中には日本を代表する指揮者の下野竜也さん、高関健さん、オーケストラはNHK交響楽団、東京都交響楽団、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、などコンサートマスターや首席奏者がずらり。
オーケストラの中で一緒に吹かせていただく機会があったのですがもうすごいんですよ。
となりで吹いてても音質、音圧、音色、タイミング、世界観、音楽観、その他すべてがとんでもないほどに素晴らしいんです。
若くしてオーケストラに入るほどの才能があり、その中でさらにキャリアを積み、そして日々自身の音楽を探求されてきた方々の出す音はもう考えもつかないくらい素晴らしいものでした。
差が浮き彫りになったときの自分。意外と・・
その一方でその方々とのリアルな距離も浮き彫りとなりました。(これもとても良いことなのですが。)
本当に遠い存在なんだなと、改めて思いました。
でもその時の自分の中の気持ちは「道は遠いな・・・険しいな」じゃなくて
「おれもあんな風に吹くぞ、絶対吹くぞ!」
だったんです。(!)
あれだけの差を感じても、以外にも凹んでなかったんです。
自分の気持ちで気づいた、自分にとっての「本当の一流」
とんでもない差を目の前にしても、自分の無力さに対する劣等感よりも「あんなふうになりたい」という希望や前進の思いが勝った。
そんななかで思ったのは
自分の力を誇示するのではなく、
自身の在り方や行動が周りの人に活力や希望を与える人
そういう人が本物の一流
なのではないかということ。
思えば今年のオリンピック・パラリンピックもそうであったような気がします。
テレビの中のその人が勝ったからと言ってあなたの現実が変わるわけではない。
でも事実日本が湧きました。見ていて嬉しくなりました。元気になりました。
僕が感じたことと同じなような気がしてならないのです。
最後に。
ひとそれぞれ「一流」の定義はあっていいと思います。
今日お伝えしたのは僕が感じ、思った一流という存在について。
でも皆さんも出会ってる思うんです、輝かしい経歴や実績がなくても人を勇気づけたり元気にしたり、前向きにしてくれる方に。
ぼくはそんな方の魅力に憧れて、そういう人と一緒にいたいな、自分もそうになりたいなと思っています。
この記事を読んでくれた方の中に共感してくれる人がいたらうれしいです。