未分類

「できない自分」が居心地良くなっていませんか? 

あるとき相談を受けた。

相談内容に対していくつかアドバイスをした。

でも相談相手は「でも・だって」を繰り返して話は堂々巡りに。

結局「自分はどうしたいの?」と聞いたとき答えが返ってこずそのままお開きとなった。

 

 


どうもこんにちは。

「あー吹けないな」

「あーなんでこんなに下手なんだろう」

 

このような悩みはもちろん解決したいと思っているのですが、それを口から漏らしているときに不安と一緒にどこか安心感のようなものを感じることはありますか?

友達と愚痴を言い合っているとき、不幸自慢をしているとき、吹けない自分に落ち込んでいるとき。

そんな時に一種の居心地の良さを感じてしまったら注意です。

あなたがぐずぐずしている間にも貴重な時間は刻々と過ぎて行っています。

 

人の不幸は蜜の味。   『自分の不幸』も蜜の味。

人間というのは不幸や悩みなど、心にある程度の負荷がかかった状態を居心地良く感じてしまう傾向があるようです。

それは「つらいのは頑張っているから=私は頑張っている」というある種の自己肯定なのかもしれません。

ですがこの時に感じる居心地の良さや心の抵抗感が癖になってしまうことがあることもしばしば起こります。

 

自分も楽器を吹いては「あぁ吹けない」、もう一回吹いては「なんでこんな下手なの」と落ち込んでいました。でもこの落ち込み作業は逆境に立ち向かっている自分、頑張っている自分に酔っていただけなような気がします。

なんのために頑張っているのかも忘れて頑張るために頑張っているような状態。

 

「人の不幸は蜜の味」なんて言いますが、自分の不幸もなかなかの味をしており、しかも人の不幸と違っていつでも取り出せるし量も調節可能なのでタチが悪いのです。

 

ただその自分の不幸に浸っているときも時間は流れて周りの環境は変化しているのです。

解決策を見つけようと努力する時間のほうがよっぽど貴重だとぼくは思うのです。

 

不幸の蜜からの脱却。「どうしたいのか」をはっきりさせよう。

上の例にもありましたが「自分はどうしたいの?この状況をどう変えたいの?どう変わったら楽しくなる?素晴らしくなる?」っていうのをはっきりさせることが大切なような気がします。

それがわかると次のステップ「じゃぁそのためにはなにをしたらいいかな」に進みやすくなります。

そこまできたら次はそれがどんなことでも行動に移してみましょう。

その行動をしたらどうなったかな?何か変わったことはあった?変わらなかったことはなに?

 

そんなことを考えているうちにほら、自分の不幸の味をなめていた自分より何十歩も先に進んでいますよ。

 

でもこれって自分自身に言うのって意外と難しいんですよね。

なにせ自分はそのことでいっぱいいっぱいなんですから(経験者談)

 

でもこうやって文面に起こしておくことでパッと見られて客観的意見として取り入れられるようにしておこうと思って書きました。

自分自身このケースに陥りがちなので復活までのプロセスを数をこなしていきたいと思いました。

 

今日はこれで終わり。

ではでは。

 

※この文章は悩んでいる困っている人を否定するものではなく、最近なんだか停滞している、なんだか思い当たる節があるけどどうしたらいいかわからないって時のために書いています。扱う内容の性質上あまり良い印象を受けなかった方にはお詫び申し上げます。この記事を読んで「あぁそうだった、自分何に悩んでいたんだ」っと前を向いてくれる人がいてくれることを願います。

 

 

-未分類